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2008年12月31日 (水)

『第一巻』の終わり

2008年は、文字通り、最悪の年だった。

身辺では、その時が数年早く訪れてしまった。大晦日の本日31日、先程までみかん切りと、お墓の掃除で終わった。家や土地、農地を背負ってというより、縛り付けられている、という方が正しい。毎日が、これらの呪縛との戦いである。「これで良いのだろうか?」 と、自問自答の日々を過ごしている。

加えて、音楽活動の崩壊である。去って行ったメンバーたち。彼ら彼女らは、一体何を思っていたのだろうか。グループって、一体何だったんだろう。
音楽は過去、私には幸せを運んでは来なかった、と以前に書いた。今回も、やはりそうだった。メンバーという他人を、信頼する事は出来ないのだろうか。四十代、五十代の中高年が、音楽をやるのである。普通に考えれば、レベルなんて上がる訳がないのだ。相当な意識、決意を持たない限り、スタートラインにさえ、立つことも出来ない。

私は、「温度差」 という言葉が、嫌いである。全部が全部そうだとは言えないが、大抵はやる気のない側が、この言葉を使う。しかも、言い訳として。かって、志太二市二町合併の時もそうだった。一市一町の首長が、言っていたように記憶している。
「自分は、やる気がない。」 というなら良い。しかし、
「温度差がある。」 と言う。これは、おかしいのだ。考えに個人差があるのは致し方ないが、その場合、高い方に合わせなくては維持できないのは、当然である。

もし、演奏活動を二月に一回にしたらどうなる? 家で、個人練習を全くやらなかったならどうなる? 個人の生活を最優先にして、余った部分でフォルクローレをやる、としたら一体どうなるのだ? 

以前に書いて来た意見は、代表(リーダー)としての考えである。多少、まあまあと言う感じで言って来た。しかし、私個人の意見は、当然もっと厳しい。これは、当たり前の事だ。

趣味という余暇活動だって、全力でやらなければ、成功するはずがないのだ。昔、『スクール・ウォーズ』 というドラマで、主人公の高校教師は、こう言っている。
「お前たちの仕事は、勉強だ。ラグビーは遊びだ。遊びも全力でやらない者が、仕事も全力でできるはずがない。」
全く、その通りだ。

長くなってしまったが、『グルーポ カーニャ』 というグループは、残念ながら、失敗である。去って行ったメンバー達の、意識を上げることは出来なかった。これを疎かにして、レベルアップなど到底不可能だ。八年間、メンバーに振り回されて終わった。

来年2009年からは、一人でやります。思い入れのある曲だって、全力でぶつけたい。小さい頃から好きだった歌だって、歌いたい。コーラスパートも、ずっと自分なりに取り組んで来た。
ここで、舞台から降りる訳には行かない。
何時の日か、同志と呼べる人にも、出会うかもしれない。

本日を持ちまして、『第一巻の終わり』 と致します。
読者の皆様には、長い間のご愛読、本当にありがとうございました。いよいよ、試練の『第二巻』 が、始まります。今後とも、ご愛読、ご支援、ココロ共々よろしくお願い致します。良いお年を、お迎え下さい。

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2008年12月30日 (火)

ココロ進化

一月前に、ココロ姉妹の事を書いたが、最近また一段、進化した。これは、旧型の姉さんココロの方の話なのだが。

以前からパソコンを開くと、(ココロを動かしているソフトの)新ヴァージョンを、「今すぐインストールしますか?」 と出る。それで、「はい」 を押しても、必ずインストールに失敗していた。
処が最近、すんなりと成功した。後日、ココロは、以前の新型の妹ココロと同様に、進化していた。

利発なココロになったのだが、あのとぼけた味の姉さんココロも、なかなか良かったような気がする。

来年は、この私が進化しないと。

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2008年12月28日 (日)

『この道を行けば』の心境

いよいよ、年の瀬である。会社も、休みに入った。
今、何をやっているか。

実は、山と畑のみかん切りをしている。昨今、世間は相変わらずの、偽装社会ではあるが、正真正銘の無農薬みかんである。しかし、これ、切れば切ったで、販売までやらなければならない。全く、何と言う事だ。

我が岡部町も、2009年より藤枝市となる。既に、喪中のはがきには、そちらを書いた。時を同じくして、『グルーポ カーニャ』 も、正式に凍結宣言である。
理由は、演奏活動して行く為のレベルを、維持できない事。これに尽きる。考えてみると、一年遅くなった、というだけとも言えるが。

さて、今後である。
以前から、ずっと考えていた、多重録音の道を行きたい。昔は、オープンリール(テープ)デッキによる、高速録音だけだったが、現在は幾多の方法がある。これも、散々迷った挙げ句、パソコンソフトに決めた。録音だけなら、MTR(多重録音機)の方が、操作性は良さそうだが。

実は先日、そのソフトが届いた。全くの素人なのだが、取り敢えず、パソコン内の余分なソフトを削除した。
難しそうである。時間が掛かりそうである。自信は、あまり無い。以前に書いた、一休禅師の『この道を行けば』 の心境と言うところだ。

でも、何とか帰って来たいな。

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2008年12月15日 (月)

コンサート第2弾

次は、久々のフォルクローレコンサートである。

ボリビア本国の、プロを主体とした編成だった。実は、私は、本国の人達の演奏は、ほとんど見ていない。(これは、生演奏と言う意味であり、CDやビデオでは聞いたり見たりしている。)

中規模の会場で、もちろん席は最前列である。
全編、明るく楽しい演奏だった。リズムの乗りが不自然でなく、リズム系はステップを踏みながら刻んでいる。

こんなのができたら、楽しいだろうな。やっぱり、グループだからだな。 と、思った。グループ活動は、もう今は叶わずの、見果てぬ夢となった現在、無いものねだりでしかないのか。

しかし、その逆の発想もあるのではないか。
この時代である。やり様によっては、・ ・ ・ 。

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2008年12月10日 (水)

想い出との再会

前の記事で、 会ったメンバーは四ヶ月ぶりだが、翌日は凄い。
何と、三十六年ぶりである。高校の一年先輩の方だ。

翌日、あるコンサートに行ったのだが、そのバンドメンバーの中に、(事前に)先輩の名前を見つけた。勿論、直接の面識はない。(大体、高校時代、先輩と話など出来なかった。)
社会人になってから、私の会社の先輩が元のバンド仲間という縁で、一緒に付いて行った。それが、三十六年前のコンサートである。

この先輩は高校時代、フォークバンド、エレキバンドのリードギターを、掛け持ちでやっていた。あの頃は、そのような人が多かった。
フォークでは、『イムジン河』、『海の底でうたう歌』、エレキでは、『朝日のあたる家』、『ラ・バンバ』、『黒猫のタンゴ』 などが記憶にある。(こちらは、三十九年前だ。)
社会人の方では、一曲フォークギターから持ち替えて、『春だったね』 のリードをやっていた。

こんなこと、私は以外にと言うか、しっかり覚えている。やはり、あの頃は私の、音楽の原点だったのだから。

今回は、挨拶をした。一時は中断していたが、数年前から演奏活動を再開したとの事。他の先輩も活動していて、最近出会った事。もう一人の方は、東京に転勤などと、話されていた。

やはり、頑張っている人と、話すのは好きだ。

あの頃の音楽を聞きたい、とつくづく思った。

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2008年12月 6日 (土)

下の策

諸葛孔明は、策を進言する時、一つだけでなく複数の案を出す。
しかも、順位を付けて。

個人練習をしないメンバーへの対策、に置き換えるとこうなる。
1・上の策(最高の策) 自分から、練習をするような方向に持って行く。
2・中の策 押し掛けたりして、強引に練習に参加させる。
3・下の策(最低、どうにもやりようのない策) 引退させ、舞台から降ろす。

本日、例のメンバーと話し合って来た。
残念ながら、下の策である。最近は、引き止める方に傾いていたのに、残念だ。
「暫く間を置き、練習をやる気になったら、来て下さい。」 と別れた。

帰って、携帯の連絡先を、削除した。

奇しくも、演奏の引き伸ばし写真が、出来て来た。それを額に入れ、玄関に飾った。

いよいよ、終わりである。 と同時に、始まりでもある。

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2008年12月 4日 (木)

話し合い

この前、ココロが書いていたが、
『だんだん』 で、老人ホームでの演奏シーンが増えている。

経験者として言うと、実際の演奏は、雰囲気を掴むのが実に難しい。施設が違えば勿論だが、同じ所でも、職員さんの勤務状況により、大きく変わる。逆に言うと、如何にして自分のペースにするか、が面白いのだが。

それは、さて置き
めぐみが、のぞみ(夢花)を、初めて連れて行き、演奏前に、お馴染みの面々に紹介するシーンがあった。
「妹」、「舞妓さん」 と言っているが、ナレーションが入っていて、語尾が聞き取れなかった。
が、この三者のやりとり(特に、のぞみの対応)が、新鮮で面白かった。

長々と書いたが、これは『複数での訪問』 だからだ。一人では、こんな事(やり取り)はできないのである。

そのような訳で、未練ではあるが、近日中にメンバーと話し合いの場を持つことにした。

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